遭難し帰らぬ人となった山岳カメラマン・平賀淳さんの足跡を辿る『親友は山に消えた』著者・小林元喜さんインタビュー「ぼくは平賀みたいに、あんなに無条件に人に優しくできない」
小林元喜さん/『親友は山に消えた』/小学館【著者インタビュー】小林元喜さん/『親友は山に消えた』/小学館/2090円【本の内容】 タイトルの「親友」とは山岳カメラマンの平賀淳さんのこと。平賀さんは2022年5月、アラスカで事故死する。《平賀は常に私を、私以上に信じてくれていた。デビュー作である『さよなら、野口健』の足掛かりをつくってくれたのはまさに平賀だった。/とうに諦めていた「書く」という夢をつないでくれたのは平賀だった。私は平賀の生涯を描くことで、それに報いたいとも思った。/まずは平賀を知る多くの関係者に取材することで、彼の足跡を辿ることにした》(第一章「葬儀」より)。出版の目処が立たない中で始まった取材は、自分の人生を振り返る旅にもなっていく。そして著者は平賀さんが亡くなったアラスカへ──。「映画のように生きろ」「漫画のように生きろ」 2022年5月にアラスカで撮影中に遭難死した山岳カメラマンの平賀淳さん。10代からの親しい友人だったノンフィクション作家の小林元喜さんが、平賀さんの43年の人生を追う。 「平賀っていうのは知る人ぞ知るカメラマンで、雑な言い方をしてしまえば、要するにほぼ無名の写真家です。ぼくも4年前に本を1冊出しただけの無名の著者で、いまの出版状況で『無名×無名』のノンフィクションを出すのはかなりチャレンジングだと自分でも思います。でも、だからこそ新しいものが書けるんじゃないかとも」 平賀さんの人生が、小林さん自身の人生と、時に重なり、離れる様子を重ね、ともに過ごした時間の流れを描いていく。 「たとえば自分の存在を消して、平賀だけを書いて本が成り立つか。いろんなパターンを考えたとき、平賀とぼくの共通の友人が言ったことがヒントになりました。一番近くでぼくたちを見ていた彼が、『2人が競い合うのが面白かった』と言ったんです。ぼくがうまくいってるときは平賀がうまくいってなくて、平賀がうまくいってるときはぼくがうまくいかない。そういう書き方で書いていったら、作品として成立するのでは、と思いました」 出会いは山梨県甲斐市の中学生のとき。別々の高校に進むが、1年で中退した小林さんを心配した平賀さんが連絡してきて、そこから仲良くなった。平賀さんの結婚式では小林さんが友人代表、小林さんの結婚式では平賀さんが友人代表であいさつしている。自他ともに認める「親友」だが、平賀さんが亡くなったあとで取材を始めてみて、「淳のことを、自分はあんまり知らないんだな」と感じたそうだ。 「知ってるつもりだったんです。淳のことを俺が一番知ってるし、俺のことも淳が一番知っている、と。でも、彼の家族に、たとえばお母さんに話を伺うと、『こんな年齢のころからこういうことを考えてたんだ』と驚くことが多かったです。芯のところ、魂の部分は感じ取れていると思うんですけど、個別具体的なエピソードはこんなにも知らないんだ、って思うことが多かったですね」 平賀さんをよく知る人たちが語る彼の人となりは、温かく、誰にでも親切で、損得勘定がない。仕事のライバルにもなりうる後進のカメラマンにも支援を惜しまない。あるカメラマンは、「親以外であれだけ損得なしにぼくのことを心から応援してくれたのは平賀さんだけ」と小林さんに話した。 「ちょっと複雑な感情にもなりました。ぼくが死んだあとで、ぼくに対してあんな風に言ってくれる人はいないと思うんです。ぼくは平賀みたいに、あんなに無条件に人に優しくできない、そういう人生を送ってこなかったと自覚しました」 親友の43年の人生を辿る旅は、彼を通して自分を知り、自分自身について考える旅にもなった。 小林さんは作家をめざし、平賀さんは映画監督をめざした。表現者への道は小林さんが先導するかたちで、2人は親友であり、一番のライバルでもあった。親友の活躍は、何者にもなれない自分への焦燥感にもつながった。 小林さんが2年かけて、最初の本の原稿を完成させて送った時、「これじゃだめだ」と忖度せず激しく怒ったのが平賀さんだった。 平賀淳という人は、なぜそこまで人に優しく、熱く、真剣に向き合うことができたのだろう。 「最後まで本に書こうとして書けなかった淳の言葉があるんです。彼は、映画と漫画がすごく好きで影響を受けてきたんですけど、『映画のように生きろ』『漫画のように生きろ』とよく口にしていました。自分という映画の主人公を生きるような、そういう気持ちで彼は生きていたのかもしれません」